・10月中旬、9日間の行程でルーマニアの旅を楽しみました。7日間をかけてルーマニアをバスでほぼ一周しましたが、走った距離は1769kmでした。だいたい福岡から札幌までを走ったことになります。 国土: ルーマニアはバルカン半島の北東、東ヨーロッパに位置し、セルビア、ハンガリー、 ウクライナ、モルドバ、ブルガリアの国々に面しています。そしてヨーロッパの大河ドナウ川がブルガリアとの国境沿いをドナウ・デルタを形成しながら黒海に流れ込んでいます。 日本の本州とほぼ同じ広さの24万km2で人口1900万人です。 気候: 緯度は北海道と同じで大陸性気候です。国土の中央をカルパチア山脈の山々が連なり、ブカレストがあるトラキア平原地方や黒海に面するドブロジャ地方、モルドヴァ地方の平原地域は比較的温暖です。しかしトランシルヴァニア地方や北部のブゴヴィナ地方、マラムレシュ地方の山岳地域では寒く、地域によって気候が大きく異なります。今回、国内を一周しそのことを身をもって体験しました。 ・ルーマニアのこと(中世): 10世紀半ば〜20世紀初期の間ルーマニアは、ハンガリー王国やポーランド王国、ハプスブルク家、オスマン帝国の支配下となり、多くの国々から統治されました。その時代の史実、オスマン帝国と度々戦った「串刺し公」と悪評された「吸血鬼ドラキュラ」物語のモデル、ヴラド・ツェペシュ公の「ブラン城」や「ドラキュラ生家のレストラン」を訪れました。そしてトルコ人による侵略の様子などが描かれているフレスコ画で有名なブゴヴィナ地方の「五つの修道院」、また当時の旧市街などの旧跡を見て周りました。 ルーマニアのこと(近代): ルーマニアは第一次世界大戦では連合国側で参戦し、その時領土を拡大することに成功しました。そして第二次世界大戦では、ハンガリーとスターリン率いるソ連から侵入され、当時のベッサラビアとブコヴィナを占領され領土を奪われました。 当時、領土喪失に無策だった国王カロル2世に国民の不満が高まり、王政廃止の気運が国民に芽生え始め、その後、ソ連軍の圧力のもと、1947年に王政は廃止されルーマニア人民共和国となりました。 ルーマニアのこと(近年): その後、ソ連の後押しのもと、1965年にはチャウシェスクが指導者に就き、1974年に大統領に就任し国名をルーマニア社会主義共和国と改め、、共産主義による独裁体制の国となりました。 急速で過度な政策により対外債務が増加するなか、豪華な宮殿を思わせる様な「国民の館」を造るなどの贅沢な私利私欲にはしったため、ルーマニアの経済はますます窮地に陥りました。「国民の館」をはじめ悪政時代の建物がブカレストの街で多く目につきました。 ルーマニアのこと(民主革命): ソ連にゴルバチョフが登場し、共産圏にようやく民主化が芽生え、1989年にはベルリンの壁が崩壊するなか、東欧の民主化の波はルーマニアにもおよびました。ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアなど、東欧諸国が無血で民主化を成し遂げるなか、チャウシェスク大統領が無謀な権力を保持したため、民主化の気運が高まり、ルーマニアだけは1989年に流血のルーマニア民主革命が起こりました。同じ国民同士が殺しあう最悪な紛争となり、多くの尊い命が失われ、ようやく民主政治が樹立されました。ブカレストではその革命時の舞台となった広場や建物、資料、物件を目の当たりにし自由の尊さを再認識しました。 その後、ルーマニアは2007年に欧州連合(EU)に加盟しましたが、通貨はユーロが通用せず、まだルーマニア・レイでした。
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