・6月上旬に中国東北部遼寧省(りょうねいしょう)の旅順、大連、瀋陽 周遊4日間の旅に出かけました。かつて東北部は満州国として太平洋戦争が終結するまで13年間【昭和7年〜昭和20年・(1932年〜1945年)】日本により統治されていた時代がありました。当時、満州には59万人の日本人が住んでいたと言われています。この旅で旅順、大連、瀋陽と日本が中国に関わりを深くしていった主要都市を順に訪れましたが、日本が残した街、港、建築物などを目の当たりし観光以外に考えさせられる事がいろいろとありました。 ・旅順は大連市旅順口区に属し人口は21万人です。日露戦争の激戦地で日本統治時代が始まった軍港都市です。現在は北京や天津などを防衛する為、人民解放軍の軍港となっています。二〇三高地や水師営会見所などは開放されていますが、外国人が観光する際は許可されたツアーに参加しなければならないそうです。 ・大連は日本の仙台とほぼ同じ緯度ですが温帯性気候に属し暖かく、雪はめったに降らず港も凍結しません。市内区の人口は312万人です。19世紀末に帝政ロシアは清朝から大連を租借地としダーリニー市と名付け10年間街造りを行いました。日露戦争後、日本が引継ぎ99年間の期限付きで租借の契約を交わし大連と改称し40年間に渡って統治しました。この間、満鉄の都市開発の推進力と権威はすさまじいものがあったと言われています。現地ガイドの説明によると「当時、大連に在住していた日本人は軍人の駐留が少なく主に満鉄職員を始め商社マンなど一般の日本人が多く、現地の人は日本人に対し好感を持ち融和感があったそうです。そして今でも大連の人は日本人に対し好感を持っている」とのことです。日本が残した街や建造物はみな素晴らしいものでした。それらを目の当たりにし良し悪しは別として、なんだか日本人として誇りを感じました。 ・瀋陽は遼寧省の省都で市内区の人口は550万人です。日本の函館とほぼ同じ緯度で、内陸に位置するので最も寒い12月は-13℃にもなります。「北京故宮」につながる清朝発祥の宮殿「瀋陽故宮」、そして清朝第2代皇帝ホンタイジの陵墓「昭陵」は世界遺産らしく見応えのあるものです。日本統治時代は奉天と呼ばれ南満州の中央部に位置する事と、朝鮮半島から満州への乗り継ぎなど主要駅として満鉄が瀋陽駅を最初に竣工しました。 |
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