ブカレスト市内観光−1 (ブカレスト) 
                             ルーマニア 39/41
                       
革命広場に建っている旧ルーマニア共産党本部です。左は旧秘密警察です。1989年12月22日に、故チャウシェスク大統領が、この建物のテラス()で最後の演説を行い失脚が濃厚と知り、ここから夫婦共にヘリコプターで外国へ逃亡すべく空港に向かいました。が、空港で軍に拘束され、その後即決裁判で銃殺刑をうけたと云う、世界中が驚く大事変が発生した場所です。

この場所は1989年民主革命の銃撃戦の舞台にもなった革命広場です。多くの犠牲者を祀る慰霊塔(2005年8月建立)が建っています。現在は労働省の建物となっています。

革命広場
広い石畳の統一広場を取り囲むように、旧ルーマニア共産党本部、大学図書館、アテネ音楽堂、そして道路を隔て共和国宮殿、など大きな建物が建っています。

革命の銃撃戦時、治安部隊は周囲の建物に立てこもりました。地下道から広場に貫け、集まった住民に攻撃する為に共和国宮殿に、またブカレスト大学図書館などにも立てこり、貴重な展示物や蔵書の大半が破壊されたり焼失したと云われています。

それよりもまして悲惨なことは、治安部隊による自動小銃や装甲車からの銃撃で、多数住民の死傷者が発生したことです。左は当時の秘密警察です。

・故チャウシェスク大統領が、失脚し絶命する前に、最後の演説を行ったテラス()です。 ・ヴィクトリア通りの革命広場には、旧ルーマニア共産党本部、旧秘密警察、カルロ1世の騎馬像、ブカレスト大学図書館、慰霊塔が建っています。

共和国宮殿(国立美術館) ブカレスト大学図書館
・ 国立美術館( 共和国宮殿)です。ここより秘密の地下道を通り、チャウシェスク大統領側近の治安部隊が現れ、革命広場に集まった市民に銃弾を浴びせたと云われています。 ・ブカレスト大学図書館の前にカルロ1世の騎馬像が立っています。

・宿泊したホテル近くの経済大学です。 ・宿泊したホテル近くの交差点の電柱には雑然と電線がぶら下がっています。この付近で道路工事は行われていません不思議です。

国民の館

統一大通りに故チャウシェスク大統領が1500億円の巨費を投じて建てさせた大きな宮殿を思わせる「国民の館」です。世界で2番目に大きな建物と云われています。

国民の反対を無視して、既存の6つの僧院を取り崩し、また一つの僧院は移設し強引にブカレスト市内南西部3kmのスピリの丘に館を建てさせました。

「国民の館」とは名ばかりで私欲を満たす栄耀栄華をきわめた建造物となっています。内部は天井、壁、窓枠までに純金の装飾がされています。部屋数は3107、大理石、シャンデリア、じゅうたん等すべてルーマニアの国産のものが使用されています。贅の限りが尽くされ国民は重い課税に苦しみ、中には餓死者も出たと云われています。

1984年に着工し、昼夜を問わず突貫工事で建設が進められ、故チャウシェスク大統領が失脚する1989年には70%が完成されていましたが、その後建設工事が再開され現在の姿になっています。
現在は国会議事堂やイベントに使われています。

大通りの並木の裏には当時の要人や幹部が住む予定であった豪華なマンションが立ち並んでいます。現在は公開され市民が住んでいます。

くしくも、私たちが訪れた時は丁度、国会が開催中であったため、内部は勿論、近くにも寄れませんでした。しかたなく統一大通りの路上、左の写真の距離からズームアップで撮りました。この場所からガイドさんの説明を聞くだけで入館出来ず本当に残念でした。

・ブカレスト大学の図書館です。右側手前に1989年民主革命の舞台となった革命広場が広がっています。 ・1955年にモスクワ大学を模して造られた旧共産党時代の新聞社です。

かつて旧共産党の幹部が住んでいたデラックスな巨大なアパート群が多く建ち並んでいます。中心地に建っているので派手な広告看板がかかっています。この様にかつての独裁者、故チャウシェスク大統領の野望を象徴するかの様な旧共産党体制時の巨大な建物がよく目に付きます。

・ここにも旧共産党時代、要人、幹部が住んでいたアパートが並んでいます。 ・旧共産党時代、高級幹部の邸宅やクラブハウスに使われていた建物です。

ブカレストの中心街で宿泊した18階建てのホテルです。
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