モニュメントバレー −1   アメリカ西海岸−17/31 
                           (モニュメントバレー)
ジョンホード・ポイントの右端の風景のアップです。西部劇の名監督ジョンフォード【1894〜1973年(明治27年〜昭和48年)】がとても気に入っていた処で何度も映画で使われたこの風景はモニュメントバレーの代表的なポイントビューです。観光客が到着すると西部劇の時代を演出するため馬に乗ったカーボーイが登場してくれます。

ジョンホード・ポイントのフルビューです。上の写真は右端をズームアップしたものです。左方向を眺めると、はるか向こうの平原にもモニュメントバレー特有のメサやビュートの巨岩群が林立しています。中央の奥にはウェスト・ミトン・ビュート(左)とメリック・ビュート(右)が見えます。素晴らしく、また珍しい風景です。

中央は左手袋(レフトミトン)、右は右手袋(ライトミトン)、続いてメリックビュートです。

左側より、左手袋、右手袋、メリックビュートのズームアップです。

ナバホ族の居留地、モニュメント・バレーにある唯一 白人が経営するホテル、グールディングス・ロッジ(1928年、昭和3年完成)です。隣接してビジターセンターや、レストラン、工芸品店、そして今は博物館となっている西部劇映画で撮影された当時の小さな建屋などがあり、モニュメント・バレー観光の拠点です。

ビジターセンターの駐車場からの眺めです。モニュメント・バレーは1930年(昭和5年)頃から西部劇映画のロケ地として数々の名作を産んだ所です。特にジョン・フォード監督による西部劇映画「駅馬車」や「捜索者」「黄色いリボン」などジョン・ウェインを主演として、ここで多くの映画撮影が行われ、またテレビコマーシャルの舞台としても登場しました。観光道路はこのハイウェイの様に舗装された立派な道ではなく、当時のままの がたがた道を4WDの車で進みます。

赤土のがたがた道を猛スピードで走る観光用の4WD車に乗り換えバレーツアーに出発です。屋根だけの車だから手摺にしっかりと捕まっていないと飛ばされそうです。舞い上がるものすごい砂塵の中 みんな帽子にマスク、サングラス、フード付きのヤッケで砂塵対策の装いです。また写真撮影にも苦労しました。

ここにもメサ(頂が平らな台形の丘)と侵食が進んだビュート(孤立した岩塔)が並んでいます。大きなビュートの高さは300mにも達します。メリックビュートの近くを進んで来ました。観光用道路はジョン・フォード監督が映画撮影のために作った道路と云われています。

2つのビュート越しに見える北側の景色が、さながら窓から眺めた様に見えることからノース・ウィンドウと呼ばれています。この場所は次の頁に出てくるジョン・ウェイン主演映画 「捜索者」の撮影場面に使われています。

3人の修道女です。ベールをかぶった3人の修道女が立っている様に見える事からそう呼ばれています。

らくだ に似たビュート群です。

浸食が進みビュートが崩れ落ちています。

博物館にある西部劇映画のスチール写真
ジョンフォード監督が、撮影のため長期間滞在する時に利用した小屋は博物館になっています。中にはジョン・ウェイン主演の西部劇映画のスチール写真が展示されていました。
1939年(昭和14年)アメリカ製作で日本公開は1940年の西部劇映画 「駅馬車」の写真です。アパッチ・インディアン襲撃にお人よしのお尋ね者リンゴ・キッド(ジョン・ウェイン)が対峙する場面です。右の赤い駅馬車は「駅馬車」の撮影で実際に使われたものでペンキが塗られ立派に保存されています。

1949年(昭和24年)アメリカ製作で日本公開は1951年の西部劇映画 「黄色いリボン」の写真です。カスター将軍が率いる第七騎兵隊が全滅した後、ブリトルス大尉(J・ウエイン)が活躍する名映画です。
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