世界遺産 チュニジア 53/62 |
紀元前6世紀(縄文時代)にフェニキア人が地中海の沿岸に造ったケルクアン遺跡です。しかし現存する遺跡は紀元前3世紀頃のものです。 紀元前の古い遺跡が残っている理由は、後にこの地を侵略したロ−マ、ビサンチンなどが新しく都市を造らなかったからです。 紀元前3世紀の第1次ポエニ戦争でローマ軍に破壊され、その後近年1957年(昭和32年、岸内閣が発足した時期)に偶然 釣り人により発見されました。ケルクアンの遺跡は1985年世界遺産に登録されています。 |
ケルクアン遺跡の規模が解る写真が入口にありました。 |
・世界遺産のパネルです。 | ・町の面積は7万m2で住居、職人の工房、神殿などに区分けされ、下水道も有り2千人が住んでいました。 |
当時ケルクアンの都市が繁栄したのは、貴重な「古代紫」の染料の交易により得られたといわれています。賛美された紫色の染料はラサキ貝から作られました。 |
・陶器用の焼き窯の跡です。 | ・金属やガラスなどを溶かした釜の跡です。 |
多くの住宅や、職人の工房跡が並んでいます。 |
住宅には下水が整備されていた事が良く解ります。 |
・床にモザイクで描かれたタニト神のシンボルマークがあります。三角が人生、横線が人生の終えん、丸が天国、を表しています。 | ・住宅には小さいながらも風呂が造られています。 |
地中海を見下ろす場所にある円柱群は海から敵の侵入を防ぐための要塞跡です。当時、この遺跡は幾度も嵐や高潮で水害に遭ったといわれています。 |