ロヴィニ 旧市街の観光   クロアチア 1/36                            
ロヴィニは古代末期に海岸からわずか離れた小さな島に町が造られ、後の1763年頃(江戸時代中期)に海峡を埋め立て本土とつなげられた町です。その事から海に突き出た島がまるごと旧市街になっています。紺碧の海にオレンジ色の屋根が映えた美しい家並みは中世の雰囲気をよく残しています。

・バロック様式のバルビ門 (1680年[江戸時代前期] )をくぐり、坂や階段を登りながら旧市街に入ります。

・バルビの門の上には、本を開き平和時であったことを示す、ベネチア共和国の象徴 →
→ 「有翼の獅子」のレリーフが見えます。

・このメイン通りはかつては海であり、左側が本土、右側は島(旧市街)でした。

・この赤い建物は14世紀頃(室町時代前期)には市庁舎でした。

・イストリア半島の石灰岩の石畳の坂道です。長い年月、 →
→ 行き交う人々の歩行で磨かれつるつると光沢を放っている石畳は歴史を感じます。雨天の時は大変だと思います。

・旧市街の丘にある教会に向かって坂道を登っています。 ・現在の市庁舎です。

だいぶ登ってきました。アドリア海が見えてきました。そして聖エウフェミヤ教会も見えてきました。


このあたりは、中世の雰囲気がよく残っています。そしてかつては島であったことも感じることができます。

高さ63mの塔が立つ聖エウフェミア教会は1736年に建てられました。鐘楼の上には、聖エウフェミアの像があり、ロヴィニを見守っています。

聖エウフェミア教会の内部は明るく歴史を物語る遺品が多くあります。


 ・教会内に伝説の絵画が飾ってあります。海から幼い少年と2頭の子牛が棺を引  き上げ運んでいる場面の絵です。

・15歳の少女エウフェミアは3世紀に殉教をしました。彼女は迫害を受け、幾度もの拷問を受けました。捕らわれの人々を闘技場にいれ、ライオンに襲わせる拷問を受けた時、他の人は犠牲になりましたが、彼女だけには、ライオンが静かになり襲わなかった事により、→
 → 彼女は聖女として人々から尊ばれる様になった。という伝説の絵です。

・教会内に安置されている聖女エウフェミアの石棺です。この石棺にまつわる伝説では、コンスタンチノープルにあった聖女エウフェミアの棺がロヴィニに移される時、船が座礁してしまい、幼い少年と2頭の子牛が海から棺をを引き上げこの教会に安置されたという言い伝えがあります。

かつて島でペストの流行した時期あり、 ペストから避難した人々が、小さな島にどんどん家を建てていくうちに、こんな海沿いのギリギリまで建物が迫る独特の景観になったそうです。なんと高さ30〜40mはある、その狭い城壁の上で一人の若者が延々とダンスの練習していました。正しい姿勢と、規則正しい身のこなしとステップの鍛錬しているのでしょう。
                                      クロアチア 1/36
Homeへ戻る       topへ戻る          次へ

inserted by FC2 system