京都百景-1        京都百景 1/7  

晩秋の金福寺    
紅葉のおち葉をかぶった金福寺の芭蕉庵です。金福寺は平安時代の初め(864年頃)、天台宗の寺として創建されました。松尾芭蕉が滞在した事があり、芭蕉はここで「うき我をさびしからせよ閑古鳥」の句を詠みました。この芭蕉庵は、芭蕉を敬慕する与謝蕪村によって再興されました。

曼殊院の庭園
曼殊院は平安時代、最澄(さいちょう)により天台宗の門跡寺院として比叡山に創建されました。その後、江戸時代(1656年)に現在地の左京区に再興されました。桂離宮の美意識が継がれた江戸時代初期の代表的な書院建築です。大書院から見えるこの枯山水の庭園は江戸時代の近江小室藩藩主で茶人、建築家、作庭家としても有名な小堀遠州(こぼりえんしゅう)の作と言われています。

南禅寺の庭園
南禅寺は臨済宗南禅寺派大本山の寺院として、鎌倉時代中期に亀山天皇により造営されました。 この枯山水の方丈庭園は江戸時代初期の有名な作庭家、小堀遠州 作の名庭で、「虎の子渡しの庭」と呼ばれています。石で表した虎が、白砂で表現した川を渡る姿にイメージ化されていることが、その名の由来です。

南禅寺の水道閣
南禅寺の水路閣は、琵琶湖の湖水を京都の街へ運ぶための琵琶湖疏水事業の水路橋として明治23年(1890年)に完成しました。この疏水事業により、日本初の水力発電所が出来、また日本初の電車である京都市電が開通するなど、京都市の発展に大きな役割を果しました。ヨーロッパにある古代ローマの水道橋を参考に設計され、全長93.2m、幅4m、高さ14mで、水は加茂川に流れ込んでいます。赤レンガで組み上げられたアーチ型の橋脚は西洋建築のレトロな雰囲気をかもしだしています。
 私が訪れた、スペイン・セゴビアのローマの水道橋や、そして南フランス・ボンデュガールのローマの水道橋も見事な水道橋です。

琵琶湖から引かれた水は現在も、とうとうと水道閣を流れ上水道として利用されています。

龍安寺の庭園
龍安寺は室町時代(1450年)に応仁の乱の東軍総帥であった細川勝元により創建された禅寺です。この有名な「龍安寺の石庭」は長さ30メートル、奥行10メートルほどの庭に敷き詰めた白砂に、帚目(はきめ)を付け、計15個の石を5か所に点在させただけの植樹もされていないシンプルな枯山水の庭園です。それぞれ5か所の石は、これ以上考えられない絶妙な位置に配されていると称賛されています。世界的に有名な庭園でありながら、作者は不明です。

修学院離宮の庭園
江戸時代初期(1655〜1659年)後水尾上皇の指示により徳川幕府が造営した離宮です。 その後、明治時代には(1884年、明治17)宮内庁に移管されました。 比叡山のすそ野に位置し敷地面積は54万uです。広大な庭園は田畑や細い松並木の道が取り入れてあり、自然庭園の感じがします。実際に今も地元の農家の手によって作物が作られています。それにしても見事な松並木です。遠方の比叡山の山並みを借景とした壮大な庭園が広がっています。

紅葉のじゅうたんの小道を進みながら拝観します。

巨大な人工池の浴龍池(よくりゅうち)など壮大な庭園が見渡せる上御茶屋(かみのおちゃや)にある隣雲亭からの眺めです。

自然の山々も庭園の借景として取り込まれています。  ここ修学院離宮や、また桂離宮、京都御所は、一般公開以外の期間は、往復はがきで関係先に申し込んで拝観許可を取る必要があります。
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