二〇三高地-1(旅順)   中国・東北部-4/30
・二〇三高地の頂上に立つ爾霊山記念碑(にれいざんきねんひ)です。この碑は犠牲となった多くの将兵の鎮魂の碑として乃木大将の意により造られました。→ →高地に飛散した砲弾を溶解して造られた砲弾型の碑で、丸い穴は日本の国旗を表しています。

・造られた当時の写真です(水師営会見所に展示されていた写真です)。

・二〇三高地の駐車場に立つ碑です。 ・3国語で書かれた説明パネルがあります。
説明パネルの文面は
「二〇三高地は1904年日露戦争時の主要戦場の一つであった。日露両軍はこの高地を争奪するため、殺しあっていた。その結果、ロシア軍は5000人以上、日本軍は1万人以上死傷した。戦後、旧日本第三軍司令官である乃木希典は死亡将士を記念するため、砲弾の残片から10.3m高さの銃弾のような形の塔を鋳造し、自らが「爾霊山」という名を書いた。これは日本軍国主義が外国を侵略した犯罪の証拠と耻辱柱(ちじょくちゅう)となっている。」です。

・二〇三高地の名前の由来は標高203mから名付けられました。 ・二〇三高地からは旅順の市街やはるか向こうに旅順港が見渡せます。重要な陣地だった事がうかがえます。
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