水師営会見所-1(旅順)        中国・東北部-2/30 
二〇三高地が陥落後、ロシア軍が降伏し旅順開城の際(明治38年・1905年)、第3軍司令官・乃木大将とロシアの旅順要塞司令官・ステッセリ中将の会見が水師営のこの農家で行われました。旅順降伏文書が交わされ、まさしく日露戦争終結の場所です。
・会見が行われた農家の建物です。 会見が行われた当時の農家の建物です。

・会見が行われた質素な部屋は狭く土間です。壁には当時の記念写真が掲げてあります。 ・この農家の建物は日本軍が野戦病院として使っていたところです。会見の際机として使われた手術台です。白布を被せて使われました。

・会見所の碑が保存されています。

・昭和4年11月に造られた碑です。碑には「繃帯所の跡、この地は明治37年10月26日より38年1月2日に至る間、数回→
→に亘り第一師団衛生隊の繃帯所を開設したる処にして会見所は即ち其の手術室なり、陸軍軍医総監・鶴田禎次郎、碑名を書す、昭和4年11月」と記されているのが読み取られます。

・会見の際、ステッセル中将から乃木大将に贈られた白馬がつながれたと言われるナツメの木です。この木は3代目とのことです。 ・会見所の周辺は開発が遅れた荒地です。
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