特急アジア号  (大連)     中国・東北部-19/30
満鉄の正式な名称は「南満州鉄道株式会社」です。日露戦争後、明治39年(1906年)に設立され、1945年の太平洋戦争の終結まで中国東北部(旧:満州)で鉄道経営以外、多種多様の事業を展開した半官半民の日本の国策会社でした。 「特急アジア号」は、昭和9年(1934年)に大連→新京(現:長春)間で運行開始され、その後、路線はハルビンまで延長されました。戦争の激化に伴い、昭和18年(1943年))に廃止されるまで、満鉄のホープとして活躍しました。
「特急アジア号」の牽引車だった「パシナ型蒸気機関車757型」を大連駅の機関庫で見学しました。ビッグなのには驚きます。流線型でスマートな車体は、なんとなく新幹線初代の0系電車にデザインが似ている様に思います。機関庫の中だから全体を写す事が出来なく残念です。

・「特急アジア号」の牽引用の機関車を見学した大連駅の機関庫です。この建物も満鉄により造られたものと思われます。 ・このような裏通りの隅っこでは、ゴミが溜り放置されている所を多く見ます。

動輪は人の背丈より高く、重量感があります。「特急アジア号」は平均時速83kmで大連→新京(現:長春)間704Kmを8時間30分で走りました。ちなみにその当時、日本国内で最速の列車は時速67Kmと言われています。「パシナ型蒸気機関車」は中国大陸を走るために設計され、 全長25.7m、幅3.4m、高さ4.8m、重量203t、動輪直径2m(日本最大)でした。

ピストンやクランクには、グリス油が付いています。まだ走る事が出来るのではないかと思われる程です。当時の状態のままリアルで見応えがあります。なんと言ってもスポーク型の動輪だから美しくレトロを感じます。

梯子を登り運転室に入りました。石炭投入口など、全てそのままの状態で保管してあります。満鉄の蒸気機関士だった、今はなき私の叔父もこのハンドル・レバーを握ったのではないかと、しばしじーと見つめました。

・蒸気の圧力を往復運動に換えるシリンダーとピストンが左手前に、そして車輪を回転させるクランク部分が動輪の横に見えます。動輪は慣性力が増す様に扇型の厚い部分が設けてあります。昔、子供の頃、田舎の駅で蒸気機関車を珍し→ →そうに見ていた事を思い出しました。

・運転室の背部は石炭をスコップですくい出す石炭口があります。ボイラーへの石炭投入作業は機関士助手のきつい作業だったと聞いた事があります。
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