きゅうふんは上のタイトル名で書いた字の様に、分の左に人べんがつくのですが、日本の漢字辞書には無いため、ここでは九分とします。九分は清朝初期には9戸しかない寒村で、物を買う時にいつも「9つ分」と言っていたことから九分と呼ばれる様になったそうです。
しかし19世紀末(明治時代後期)に金鉱が発見されると村が発展し、日本統治時代には最盛期を迎えました。街並みは日本統治時代の面影が多く残っています。その後、第2次世界大戦後には金の採掘量が減り、1971年に金鉱が閉山されてから町は一時さびれてしまいました。しかし映画「悲情城市」のロケが行われてから有名になり、レトロな雰囲気から台湾有数の観光地となっています。 |