ドブロヴニク旧市街−2    クロアチア  31/36
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手前より救世主教会、フランシスコ会修道院です。右手前にオノフリオ大噴水が少し見えます。

フランシスコ会修道院の内部は明るく、美しい装飾ばかりです。

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救世主教会の入口です。 ・フランシスコ会修道院の入口の上に、嘆きの「ピエタ」の彫像があります。我が子(イエス・キリスト)の亡骸を抱いて哀しむ美しい聖母マリアです。

・1391年創業(室町時代前期)のヨーロッパで3番目に古い薬局「マラ・ブラーチャ薬局」です。現在も営業を続けています。当時フランシスコ修道院では、貧しい人々のための治療院があり、そのため薬学レベルも非常に高かったといわれています。 ・プラツァ通りをルジャ広場の方向に進みます。左側のフランシスコ会修道院の二つ目の入り口は嘆きの「ピエタ」の彫像がある入り口です。
    
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ブラツァ通りの東端、旧市街の中心にあるルジャ広場です。左はスポンザ宮殿、右は1444年(室町時代中期)に建てられた高さ31mの鐘楼、その右のアーチにはオノフリオの小噴水が見えます。
 
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スポンザ宮殿は1516年(室町時代後期)に建てられ税関や物資の管理所が置かれていました。1667年(江戸時代前期)の大地震の時、被害を免れ、震災以前の貴重な建築物といわれています。現在は古文書館として使われています。 ドミニコ会修道院は13世紀〜14世紀(鎌倉時代〜室町時代)にかけ建立されました。道路を面する旧市街の東端にあり防衛上重要な場所だったので院全体は城壁に囲まれた重厚な造りとなっています。

・スポンザ宮殿の中庭です。1667年(江戸時代前期)の大地震にも被害がなかったはず、柱の大きさや、壁やアーチの厚みなど堅牢に出来ている様に見えます。 ・スルジ山の方向、山手の方に行くには狭い通路と階段を上ります。ユダヤ人街がこの付近にあります。
  
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・右が旧総督邸、正面はルジャ広場にあるスポンザ宮殿と鐘楼が見えます。背後はスルジ山です。

・中世、ドブロヴニクはグーサ共和国として栄えていました。 →
→ その当時の旧総督邸です。総督の邸宅や執務室のほか、議会、裁判所、行政府など政治の中枢が置かれていました。1667年(江戸時代前期)の大地震時には被害があり修復がされました。
  
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・ルジャ広場のオノフリオの小噴水です。ビレ門近くの大噴水と同時期に作られました。

聖ブラホ教会です。ビレ門のアーチ上部に立つドブロ→
→ ヴニクの守護聖人ブラホを祭る教会です。教会の正面の上にはブラホ像が立っています。教会は15世紀に建立され、1667年の大地震時には崩壊したので18世紀(江戸時代中期)に建て替えられました。前にはオルランドの柱が立っています。
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