スプリット市内観光−1  クロアチア  24/36
ザグレブに次ぐクロアチア第2の都市スプリットです。 スプリット旧市街は、1700年前造られたローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿そのものが旧市街になったという珍しい起源をもつ街です。

ローマ滅亡後、宮殿に多くの異民族が勝手に住みこむようになり、そのまま旧市街となった世界でも不思議な歴史を持つ街です。その特殊な都市の成り立ちと不思議な情景が1979年世界遺産に登録されています。
1階の窓が連なる間に見える南門(青銅の門)より旧市街に入ります。

宮殿の入口近くに1700年前のイメージ図がありました。ガイドさんの説明の概要を記入しました。 宮殿は高さ20、東西180m、南北220mの城壁で周囲を囲まれています。

壁に当時のイメージ画が飾ってありました。南門(銅の門)がある海に面した南側です。当時の南門(銅の門)が中央に見えます。交易で繁栄していたことが想像できます。現在はもっと海側に埋め立てられ海岸は広くなっています。

海岸べりの宮殿の水不足のため皇帝はバルカン半島に延びるディナル・アルプス山中のヤドロ水源から10Kmもの水道路を造らせました。

・南の門は海に面しています。現在は城壁に沿って新しい建物が建ち小さい門ですが、かつてはもっと大きな立派な門だったといわれています。 ・宮殿の南側、城壁外(南の門)に通る、2006年に造られたプロムナードと言われる通りです。多くの観光客でにぎわっています。

南の門より入ったすぐの通路にはみやげ物店が並んでいます。

宮殿の地下
宮殿の地下は宮殿を支えるための角柱、天井のアーチ、壁、どこも壮大な造りです。

・皇帝の椅子、玉座です。ディオクレティアヌス皇帝は305年(大和時代前期)にローマ皇帝を引退し、没するまで6年間この宮殿に住んでいました。 ・玉座の後の壁に飾られた宮殿の主、ローマ皇帝ディオクレティアヌスのレリーフです。

・室の横梁が展示されています。かつては左右両側の天井の高さ位置の穴に、この梁が渡されていました。 ・ローマ滅亡後、異民族が勝手に住みこむようになった宮殿内はあちこちで乱用され、ゴミ捨て場になっていた所もあったそうです。

・皇帝ディオクレティアヌスの胸像です。 ・石棺です。
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