ザグレブの街−2     クロアチア 6/36

・大聖堂の正面部分の城壁は取り除かれていますが、大聖堂の周囲は、オスマントルコ軍の襲撃に備えるための城壁で囲まれています。壁の両端には円錐形の塔が建っています。 ・聖ユラユの騎馬像が龍を踏まえて立っています。

・元教会であった建物は現在、銀行として使われています。

・「血の橋」の通りです。昔はここに川が流れており、この川をはさむ地域は、東の丘はカトリック教徒のカプトル町、西の丘は商人のグラデツ町と二つに分かれていました。この二つの町は製粉事業が盛んでしたが、水車小屋の管理を巡っての争いが絶えなく、川の流れは血に染るほどの争いがあった事から、この川にかかる橋を「血の橋」と呼ばれていました。
今はもう川は埋め立てられましたが、橋のかかっていた場所には「血の橋」の名前が残り町の歴史を物語っています。
その後、1850年(江戸時代後期)に二つの町(カプトル、グラデツ)は統合され、ザグレブの街が誕生しました。「このように名を残しているのは、浅ましい争いへの戒めの為だろう」と思いながら写真に収めました。     
  ・「KRVAVI MOST  (血の橋)」のプレートが通りの角にあります。

13世紀(鎌倉時代)には建っていた聖マルコ教会です。教会は美しい屋根が有名です。赤、青、白の三色のモザイクの屋根には二つの紋章がデザインされています。屋根の左側がクロアチア王国の紋章、右側がザグレブ市の紋章です。現在の建物や屋根の紋章は1880年(明治時代中期)の改修工事の際に付加されたものです。

・聖マルコ教会が建つ、聖マルコ広場には場国会議事堂など多くの公共施設があります。左側は聖マルコ教会、右側は市役所です。 ・旧市役所です。

・聖マルコ広場の左側は首相官邸です。 ・石の門をくぐって、坂道を登った所にある、1355年(室町時代前期)に開業のクロアチア最古の薬局です。
 
・三角屋根の石の門です。昔ここに建っていた聖母マリアの礼拝堂が火事で全焼しました。しかし聖母マリア像だけは焼け残り、石の門の中に礼拝堂として再建されたものです。 ・地域の人が崇拝する聖母マリア像が門の内部にあります。
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