大連港 (大連)        中国・東北部-26/30
大連港は大連湾に面し水深も深く、冬季に凍結しないので昔から良港として開発されました。当初はロシアにより第1埠頭(右隅)が造られ、日本統治時に満鉄が残り3本の埠頭を造りました。大連は商港として客船や貨物船が就航し、旅順港は軍港として使われました。第2埠頭に白い建物の大連埠頭旅客待合所が見えます。かつて、ここから希望、落胆、辛苦を抱え、また祖国の土を踏む事が出来なかった多くの日本人が出入していったと思えば感無量の気持になります。

・多くの戦争に利用されすさんだ世相がとおり過ぎた港界隈は、何か黒ずんだ重苦しい暗い感じがします。 第2埠頭の大連埠頭旅客待合所は大正13年(1924年)に建築されました。2階が待合所で、1階には満鉄の引込み線に面した旅客プラットホームも作られていたそうです。

・当初ロシアが造った第1埠頭の方向を見ています。あまり大きな規模ではない様です。 ・坂道を上がって行くと日本人街があります。このあたりは中国としては整然としていてきれいな町の様です。

当時満鉄が建設した大連埠頭事務所です。今でも大連港務局として使われています。当時、大連で一番高い建物でした。港に向かう連絡船の乗客は、遠くからまずこの建物を目にしたと言われています。港の埠頭の写真はこの建物の屋上から撮ったものです。

大連港へ通じる道にロータリー状の港湾広場があります。広場の中心には、帆船のモニュメントがあります。

大連港の近くには多くのホテルやオフィスビルが林立しています。
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