中山広場-1 (大連)      中国・東北部-23/30
   (旧:大連大広場)        
円形の中山広場から市中心部の道路が放射線状に10本延びています。日本統治時には「大広場」と呼ばれいました。広場の周りには、当時日本が建築した西欧風建築物が多く残っています。今も中国の機関として使われています。
ロータリー状になっている道路の周りに多くの建築物が立っています。・右端が中国工商銀行(旧:大連市役所)、・高い世界貿易センタービル、・正面の木陰に中国銀行大連中山広場支行(旧:横浜正金銀行大連支店)・左側木陰に郵便局旧:関東逓信局)などの建物が見えます。この写真の撮影場所は下の古い写真の印の場所から撮ったものです。
大連賓館(旧:ヤマトホテル)の階上から昭和15年(1940年)頃に撮った「大広場」の写真がロビーに掲げてありました。 上の写真を撮った場所はあたりになります。正面に旧:横浜正金銀行大連支店、左側にチョコレート色の旧:大連民政署が見えます。



大連賓館(旧:大連ヤマトホテル)は大正3年(1914年)に満鉄により建てられた建物です。当時は、国の要人、また軍部や満鉄の幹部などが多く利用した満鉄経営の高級ホテルでした。
現在は大連賓館(旧:大連ヤマトホテル)として営業されています。ロビーです。



中国銀行大連中山広場支行(旧:横浜正金銀行大連支店)は明治42年(1909年)に建てられました。格調高き建物です。



チョコレート色と白色のコントラストがきれいな遼寧省対外貿易経済合作庁【旧:大連民政署(警察署)】です。日露戦争が終結した3年後の明治41(1908)年に建てられていたとは驚きます。
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