世界遺産  頤和園-1 (いわえん)    北京-23/32
頤和園は清第4代乾清皇帝により1750年に創建されたのが始まりで、その後2度も廃墟と再建を繰り返しました。1860年のアロー戦争時には英仏連合軍により破壊されました。そして清朝末期、事実上政権を掌握していた西太后は1888年、海軍予算を流用し自分の離宮として7年の月日と莫大な資金をかけ頤和園と改名し再建した事や、日清戦争が敗戦のなか連日宴に興じるなど人民疎外の政治を続けました。その後1900年に勃発した義和団事変で8国連合軍により清朝滅亡時に園も破壊されました。1924年に新しい北京政府により改修、開放されました。
昆明湖の向こうには万寿山にそびえ立つ頤和園のシンボル仏香堂が見えます。万寿山は昆明湖を掘った土砂で造った高さ60mの人口の築山です。

高さ20mの基壇上に立つ八角形の仏閣堂は高さ40mです。仏閣堂の前には拝雲閣、後は智慧海(ちえのうみ)の楼閣が見えます。

頤和園の入口東宮門には清時代の光緒皇帝直筆の額「頤和園」がかかっています。 ・仁寿門の向こうには長寿の神の様に見える事から名付けられた寿星石、その奥は仁寿殿です。

仁寿殿は清時代末期に西太后と光緒帝が政務をとった所です。

仁寿殿の前には龍や鳳凰などの彫像が立っています。

昆明湖のほとりには、西太后夏の離宮らしく夏に涼む知春帝などの東屋があります。
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・湖岸と南湖島にかかる十七孔橋(じゅうななこうはし)です。盧溝橋を模して作られています。 ・長廊の船着き場です。昆明湖の湖水面積は22kmで、水深1.5m〜3mの人造湖です。



湖畔の歩道では老人が達筆の漢文を書いておられます。
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